介護、それは突然に。①(思ってたのとチガウ)

介護のおはなし

「うちの親は元気だし、介護なんてまだまだ先よ~」

そんな会話になることすらまだまだ先よ~という段階で突然降りかかった親の要介護。

それはもう青天の霹靂というか寝耳に水というか…とにかく母はとっても元気でした。
どれぐらい元気かというと、

  • 趣味は旅行★年に4~5回はお友達と京都や沖縄にGO!年金暮らしを気ままにエンジョイ♪
  • 趣味は運動★テニスにゴルフに太極拳。最近はヨガもはじめました!というくらいアクティブ!
  • 趣味は芸術★水彩画に油彩、ポーラセーツ。好きなものを好きなときに好きに描くクリエイター

…その他、家庭菜園やガーデニング、洋裁・編み物など等々等々・・・本当に多趣味でした。

おまけに現役で働いていた時は、ゴリゴリの経理!数字にはめっきり強く、PC操作も朝飯前、
スマホの画像編集は娘の私よりも使いこなしていました。

健康×多趣味な母だったことから、正直、介護が必要になるだなんて全く思ってもみなかったのです・・・3年前までは。

きっかけは4年前のもらい事故

今から4年前、母が車の運転中、信号待ち中に後ろから追突された事故をきっかけに精密検査をすることに。

そこでたまたま見つかった良性の脳腫瘍。「今すぐ取らなくてはならないものではないが、突然破裂してしまう可能性もなくはないから取ったほうが良い」・・・ということでした。

そう難しくない手術だということ、そして後遺症はほぼ残らないということだったので母も納得をしてとんとん拍子で手術をすることに。

手術は無事成功し、約1か月のリハビリ期間を終えて退院したのでした。この時、齢69歳。
その後、やれ脳のむくみがでてきてしまっているーとか、てんかんの発作が起きてーなど、
なんやかんや年に1~2回、入院やら救急搬送・入院をしつつ、時代はコロナ禍へ突入。

人格が変わった?!突然の暴言に驚く

コロナ元年。母の突発的な発作からの入院があったものの、面会に行けないだけで、数日の入院はあっという間に終わりました。退院しても、緊急事態宣言の真っただ中だったため、実家に顔をだすことを両親に拒否され、しばらく会えない日々が続いてしまいました。

休日に子供たちを連れて実家に行く頻度が、コロナ前までは月2回以上はあったのに、
コロナ元年は1~2か月に1度、それも短時間となってしまい…母や父の変化には気づけませんでした。

しかし、コロナ2年目の冬、実家にて衝撃のコトバを耳にしました。

<母による、父への暴言>

父はおとなしく寡黙な人。(でも怒りの沸点が低め)
母は明瞭でおしゃべりな人。(自己肯定感高め)

ザ★昭和な父の半歩(いや、0.75歩)後ろを歩くような関係性で、
若い時に父がいろいろやらかしても、
病気をして体が不自由になってしまっても、
すべてを受け止め、文句も言わず、相変わらず明るく接する。そんな母でした。

とある休日、昼食時にうどんの汁をこぼしてしまった父に母が・・・

っなにしてんのよ、 このグズ!!!!!

と言い放ったのです。血相を変えて。

私は耳を疑いました。(今・・・な、、、なんと・・・???)

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